太陽への信仰

今年も年末が近づき、人々の生活もあわただしく、来る年に向けて期待を込めて準備に取り掛かる時期となりました。

 

今年世界分化遺産に登録された富士山では、毎年のように大晦日に初日の出を拝む人で賑わいます。「万葉集」に、日の本(ひのもと)とあるように、日本という国名は、もともと世の中を照らす日が出現する始めの所という意味なのです。

 

それは聖徳太子が隋の煬帝に渡した国書に、「日出づる所の天子」と書いて、煬帝の怒りを買ったという有名な逸話にも残されています。またお天道様などと言うように、私たちは日の光に対して、長らく親しみや感謝の念などの信仰を持ち続けてきました。

 

それが最もよく表れているのが、日本の神話の天照大神でしょう。伊邪那岐命が左眼をすすいだ時に生まれたとされる天照大神は、同じく鼻を洗われた時に生まれた須佐之男命が、調子に乗って大暴れした結果、天の岩屋にこもってしまいます。

 

その結果、天も地も真っ暗闇になってしまいます。困った神々が天の岩屋の前で踊り始めると、神々の笑い声を聞いた天照大神が、少し戸を開けて様子を伺ったのを機に、岩戸がこじ開けられ、再び世界が明るくなるという話は、誰でも聞いたことがあるはずです。

 

日本の食の基本である稲も、日の光がなければ育ちません。今も昔も私たち日本人の生活文化は、日の光の信仰と深く結びついているのです。

フルーツ02

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